振り返りについて考える

還暦爺さんの学習

地方の赤字ローカル線存廃に関して動きが出ているようでありますが、株主総会招集通知を眺めて今更ながら思いついたことがありますので書き散らかします。

セグメント別の業績の状況

この招集通知にはセグメント別の売上高と利益/損失が一覧となっているのですが、全売り上げにおいて67.3%を占める運輸事業は赤字を計上しているのに対して、15.9%の数字を占める不動産・ホテル事業は全利益の80%を占めているのです。

JRのRがRailwayを意味しなくなってしまった。
数字上、北のJRの赤字はJR東日本の黒字分で埋められる。

これは不動産・ホテル事業の会社が世間に対する信頼性のアピールや家と職場との移動手段としてのツールとして鉄道部門を抱えているようなものであり、和歌山県の御坊臨港鉄道が紆余曲折を経て東京の不動産業者である鶴屋産業の傘下、紀州鉄道としてしぶとく列車を走らせている現状に類似しています。

宮脇先生も御著書にて紀州鉄道の経緯を軽く説明されていらっしゃいます。

紀州鉄道の件は昭和40年代に起こった出来事でありますが、いつの頃からか名ばかり鉄道会社(鉄道業以外の事業収益が鉄道業の収益を上回る鉄道会社)が増え、鉄道営業圏内に大都市圏を持つ鉄道会社が駅ビル、オフィスビル、マンション開発に重点を置く事業形態がより鮮明になってきたようでありまして、その一方大都市圏を持たない鉄道会社の経営の厳しさがより鮮明になったようです。

国鉄分割民営化の功罪

ひと昔前まで、名ばかり鉄道会社は私鉄に見られた現象でありますが、近年はJRにその傾向が顕著に現れるようになり最近の株主総会招集通知を眺めながら、(一部除き)JRも名ばかり鉄道会社の仲間入りか、と今更ながら思い知るに至ったのであります。

次回訪日時にはその謦咳に触れたいです。

一方で1987年4月1日の国鉄分割民営化以来35年が経過した現在までに当初意図した効果があったのか(目的の達成状況)を分析していないようでがそろそろ振り返りの検証が必要なのではないか?と思うのです。
鐡坊主先生もJR四国・予土線存廃に関する動画にて指摘されております。(1:12あたりから振り返りに言及されております。また、3:45あたりで切腹などという物騒な言葉が発せられております。)

政府(官僚)の体質?

鐡坊主先生の動画内ご発言「国鉄分割民営化に関する振り返りは困難でしょう。」を聴いて、この件は国土交通省の管轄だが、財務省と厚労省も似たようなもんじゃねぇかな?と思い当たった点がありますので、書き散らかします。

・財務省の例
三橋TV第700回(1:45から)「実は財務官僚は・・・以下略」において、財務省の体質に少し触れているのを見つけました。
安倍元総理の「財務省は国が滅びても財政規律さえ保たれてさえいれば満足なんです。(安倍晋三回顧録より)」という発言に対する元財務(当時は大蔵)事務次官:斎藤次郎氏の反論の中に「入省(1959年)して徹底的に教え込まれたのは財政規律の重要性でした。・・・中略・・・財政規律の大原則を脈々と受け継いできたわけです。」と結んでいます。また財務省はOBの発言力が特に強い省であり、要するに財務省(当時は大蔵省)は60年以上も前の価値観で動いており、この価値観を見直すこと=OBの考えを否定することに繋がりかねない意見は断固認めない体質である、と見受けられます。具体的な内容は理解できませんが、先人の事例を題材にせめて現状に合っているのか否かくらいの振り返りは必須ではないかと考えるのが一般人ですがスーパーエリート様のお考えは異なるようです。(因みに1959年当時、為替は固定相場でした。ついでに1971年8月15日を以って金本位制は停止されております。ニクソンショックですね。当時の経済規律が現状に合っているのかどうかくらい検証すべきと思うのですが。)

・厚労省の例
こちらは誓いの碑を建てるくらいの柔軟性はお持ちのようでありますが、新型コロナ対策の振り返りは是非早期にお願いしたいところであります。
新型コロナ対策の目的は、「日本国民の生命と財産を守ること」であると思うのでありますが、時事通信によれば3年間で102兆円の国費が投じられたそうです。

新型コロナから身を守るためなら死んでも良いのか。?
是非に及ぶ必要は無いがせめて何が起きたのかくらいは
調査してもらいたいのだが。

この中には一人7回分のワクチン費用も含まれているのですが、2023年6月現在、株価ばかりが上昇して労働者の賃金は一部産業を除き低いまま、更に超過死亡に至っては2022年から異常な増加を遂げるありさまです。超過死亡に関しては新型コロナに集中するあまり他の死亡要因に気付かなかったのか、もしくは対策の中に新型コロナを上回る致命的な何かがあったのか、岸田首相は2022年6月の報告書を以って再度の検証には否定的とのことですが3年間102兆円のプロジェクトを1回の検証で済ますのは如何なものかとは思いますねぇ。
例えば、102兆円を人口で割り算すると、国民一人当たり85万円になりますからこれを以って1~1.5か月程度引き籠るのも選択肢に入れても良いと思うのですが。?(無理)

・官僚ではなく政治家の場合(自民党の例)
2月に開催された自民党少子化対策対策の会合にて、講師として招かれた国立社会保障・人口問題研究所の鎌田健司氏(現・明治大専任講師)がデータにより現状の少子化対策がズレていることを指摘したところ、出席していたベテラン議員が不満げな顔を見せた、とのことです。
参考動画:安藤裕チャンネル【自民党の少子化対策に効果なし】すでに自民党の会合で指摘されていた。
自分達の間違いを認めると最終的には次の選挙で落選するかもしれない、地元の講演会に顔向けできない、といったところでしょうか。

振り返らない(振り返りたくない)、見直さない(見直したくない)、改めない(変わりたくない)、に関しては大東亜戦争当時もあったとのことで、三橋TV第686回日本経済失敗の本質(3:03あたりから)にて当時の軍上層部が作戦失敗の責任を問われなかったケースがあった旨、指摘されています。
どうやら学者、政治家、官僚、軍人・・・プライドの高い方の一部には自分の間違いと向き合うことができない方もいらっしゃるようです。

以上のような従来の考え方や行動指針を覆すに値する事象が発生した際、その事象を正面から向き合わずに感情のみで排除しようとする行動をセンメルヴェイス反射(Semmelweis reflex)と称します。
具体的な例が三橋TVの三橋貴明氏のブログ:少子化対策のセンメルヴェイス反射に記載されていますが自分は人様のことを言える立場にございませんので、新たに覚えた「センメルヴェイス反射」を意識したまずは現実を直視する思考を心がけようと思います。

・余談
司馬遼太郎先生の「翔ぶが如く」であったと記憶しておりますが、西郷南洲の言葉「大久保どんが集めた人材は士(さむらい)ではなか。!」に込められた官僚制度への批判と、同じく司馬先生原作のNHK大河ドラマ「花神」オープニング冒頭ナレーション「一人の男がいる。・・・中略・・・もし維新というものが正義であるとすれば、・・・後略」を思い出したのでありまして、果たして明治維新前の日本のエリートはセンメルヴェイス反射に陥ったのであろうか。?という疑問が湧いてきたのであります。

また、昨今のAI激推し現象を見るにつけ、効率化目的は勿論でありますが「責任はAIに押し付けよう。」という、責任回避の意識が垣間見えるようです。(想像妄想憶測ですが。)

コメント

タイトルとURLをコピーしました