特に理由は無いのでありますが荘子であります。浅学菲才の我が身では理解できない記述が多々ありまして、せっかくの文言も無駄に終わりそうではありますが、なんとなく書き散らかそうと考えたのであります。
荘子先生は紀元前369年頃 – 紀元前286年頃、周の末期で春秋戦国時代の戦国の部分で活動された思想家でありまして、漫画:キングダムの頃にあたります。因みに孔子先生はその少し前の春秋時代に活動されておりました。
尚、当該記事は筆者の勘違い、思い込み、間違いが多分に含まれますのでご興味がある場合は専門家による解説をお読みいただくこと強く推奨いたします。
寓言 重言 卮言
雑篇・第五の一より
荘子先生の文章は、寓言が九割、重言が七割、卮言は日々口をついて出てくる(重複有り)とのことです。
寓言は何かを語るときに当事者以外の人間=第三者の言を借りて語ることを指します。人々は自分と同じ意見には同調し、それを正しいとする傾向があるのに対し、自分と異なる意見には耳を貸さず、それを誤りとする傾向があるからです。(寓言を利用することにより人々の理解を得られ易いのではないか、というものです。)
重言は論争を止めさせるため、先人の言を例とする言を指します。しかし、単純に年齢を重ねただけの先人(こういう人を陳人と呼びます。)の言はただ古臭いだけで役に立ちません。重ねた年齢に応じて本末・筋道を備えた先人の言に重ねる言を指します。
卮言(語る対象に応じて自由に変化する表現)は日々口をついて出る言葉を指します。天倪(自然のバランス)に従って対立を調和に導く言葉であり、これを曼衍(拡散されること)に任せることが天寿を全うすることにつながるしています。
また、言葉を発しない限り万物の差別は表面化せず全てが斉しい状態が続きますが、斉しいことを説明すべく言葉を発すると全てが斉しくなくなり、言葉により斉しくしようとするとますます斉しくなくなってしまう、これを「ものを言いながら何も言わない。」として、生涯続けたとしても何も言っていないのと同じであるとしています。反対に生涯言葉を発しなくても発しなかったことにならないとの記述がありますが、私には理解できませんでした。
新約聖書・ヨハネの福音書は「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。・・・」で始まっておりますので荘子先生の教えに従えば、新約聖書の世界観においては万物の差別ありきのようであります。
孔子先生と盗賊の会話
雑篇・第七の一より
春秋時代の孔子先生が跖という盗賊集団のリーダーを改心させるべく会談を持った時の様子を荘子先生が語ったものです。
孔子先生は言いました。
「天下には三つの美徳があるとされています。見た目の良さを示す上徳、知識見識と処理能力の高さを示す中徳、勇猛果敢にして集団を束ねる能力の高さを示す下徳。跖将軍はこの全てを備えていながらその行いによりにより盗跖等と呼ばれています。これは大変残念なことです。私にお申し付けいただければ周辺の諸侯を説き伏せ、将軍のために城や街を造営させ、将軍を押し立てるよう手配します。その上で一族郎党平和に暮らし、先祖の霊を祭って下さい。これこそが将軍に相応しい生き方です。」
これに跖が応えます。
・見た目が良いのは父母のおかげであってあん
たに言われなくてもわかっている。
・面と向かって人を誉めたがる奴は蔭で悪口を
言いたがるものだ。
・利益でに釣られ言葉で諫められるのは愚かな
凡人程度の人間だ。
・(諸侯に用意させた)街や人民などの利益で俺
を釣って凡人として手なづけようとしてい
るのではないか。?
そんなもの長続きするはずがない。
・世間で一番尊ばれているのが黄帝だが、黄帝
の前の時代の人民は耕作してものを食い、
織物をして着物を着、人々は互いに害し合う心
は持たなかった。
しかし黄帝が現れると徳を極めること無く、国
同士で争いが絶えず、国内では世継ぎ争い
や権力争いが絶えず、身分に高低ができ、強者
が弱者を圧迫し、多数者が少数者を踏みにじる
世の中になったではないか。
・あんたの教えに従って行動を起こした子路と
いう人間は塩漬けの刑に処されたぞ。あんたの
教えが良くないからではないのか。?
・それにあんたは魯の国では二度追放され、衛の
国では足跡を消されるほど排斥され、斉の国で
は困窮し、陳や蔡では土民に包囲され身の置
き所が無いではないか。
等々孔子先生の欠点を微に入り細を穿って述べた後に、「有限なこの身を無限の大自然に寄せているのはほんの一瞬である。己の欲望を満足させ寿命を養えない人間は全ての道に通じたとは言えない。あんたの教えは狂気いじみてあくせくしていて、いかさまの嘘っぱちだ。本来の真実を全うできるものじゃない。」とまで言い切ったのです。
荘子先生は盗賊のリーダーに言い負かされる話を持ち出すくらい孔子先生を評価していなかったようです。
恵施について
雑篇・第十一の七より
荘子先生の少し前の政治家/思想家に恵施(紀元前380年頃 – 紀元前305年頃)先生がいらっしゃましたが荘子先生は次のとおりその人物を評しています。
・多芸多才で山ほどの書を有していたがその学問
はバラバラの寄せ集めで議論も的外れである。
・複数の命題(例:厚みを持たないものは積み上げ
られないが、その大きさは千里四方にも及ぶ。
面の広さは厚さとは別物である、という意味。)
を掲げて同時期の同業者(論理学派)とやりとり
したが人民の心からの納得は得られなかった。
・自分の弁論が最も優れていると自負しており、
”空が落ちて来ないのは何故か?”、”大地が陥没
しないのは何故か?”、”風/雨/雷はどうして
起こるのか?”の疑問に対してわかりも
しないのに出まかせの答えを出した。
徳性を養うことに弱く、外界の事象を追うこと
に強く、その道は偏っていて天地自然の大道か
ら彼の才能を見れば一匹の蚊か虻がバタバタし
ているが如く、世の中の何の役にも立っていな
い。
散々な評価でありますがこのように結んでいます。
・万物を追ってどこまでも才能を分散させ、結局
のと ころ弁論に巧みであるということで評判
になっただけである。
もしかして器用貧乏ってことにもつながるのでありましょうか。?
全て読み終わるのはまだ先の話
最もとっつきやすそうな雑篇から読み始めてみたものの、想像以上に難解な文章(現代和訳)が多く、なかなか読み進められません。まぁ荘子先生が孔子先生を快く思っていないことは読み取れましたが。しばらくは雑篇と付き合うことになるでしょう。
世界を見渡すと日本も含めてうまく回っていない国が多いように見えます。こんな時こそ荘子先生の教えを見直したいです。
・利を以って合する者は、窮禍患害に迫られて
相棄つ
・天を以って属する者は、窮禍患害に迫られて
相収む
・鷦鷯、深林に巣くうも一枝に過すぎず。
偃鼠、河に飲むも腹を満たすに過ぎず。
・皆が信長、皆が光秀
何時でも何処でも本能寺
是非に及ばず(from水曜どうでしょう)
孔子先生は乱世にあっても礼儀や雅楽を整え人の道を定めるべく諸国を説いて回りましたが、少し先走り過ぎたようですね。
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