三度目以降はツアーに頼らず、自力で航空券とホテルを手配し、鉄道乗り歩きの要素が徐々に強くなったのであります。そんな中、台湾初の新幹線開業を翌年に控えた2006年のゴールデンウィーク、勤務先(当時)の後輩が移住したバンコクを表敬訪問した帰途、台湾に立ち寄ったのであります。(その際、バンコク⇒桃園の国際線に乗り損ねた失敗をやらかしたのでありますが、説明すると長くなるので省略いたします。)
新幹線と飛行機
この時は台中から内陸(山の方)へバスで1時間ほどにある埔里の見学と台中、台南、高雄周辺を各駅停車でふらふら乗り歩いたのでありますが、各駅停車はともかく、何故鉄道の無い埔里の街を見学したのか。?
埔里は日本人シニアのロングステイ先として有名でありまして、ちと興味が湧いたからであります。ただ、当日は天候があまりよろしくなく街中を充分に散策できず、台中⇔埔里のバスがやたらカッ飛ばしていた印象しか残っておりません。改めて訪問するかは今後の検討課題でありますね。
埔里の見学と各駅停車の乗り歩きを終えて台南に宿泊し、翌日台北に戻るというスケジュールでありましたが、台南から台北までの交通手段を決めておりませんでした。
「さて、どうするべか。自強号か、バスか、ん?、来年新幹線開業となると航空便は廃止になるんじゃねぇかな。今のうち乗っておくか。」等と独り言をブツブツ発しながらホテルで分けていただいた”な~るほどザ台湾”(日本人旅行客向けのフリー雑誌)の巻末にある航空便の時刻表で適当な便に丸印を付けつつ台南の街中をフラフラ歩くうちに地元の旅行代理店に行きつきました。
台湾の国内航空は遅れることがちょいちょいあることをこの段階ではすっかり忘れておりまして(気付いた時には後の祭り。冷や汗ものでしたねぇ。)「您好!」と店内に入ったところ一瞬間があって「イラッシャイマセ」と返されました。何故日本人と特定されたのかはいまだに謎です。
本格的な日本語の会話は無理そうでしたので「復興GE0528班次、往台北 一張 有嗎?」目一杯の華語で注文を出したところ、めでたく通じて無事券を入手したのでした。
台南からの飛行機はプロペラ機で高度が高くないフライトでしたので景色はそれなりに楽しめました。ただ、緊張感はずぅっと続いていたので台北の松山機場に着陸した時はホッとしたのでありました。
残った枝線と消された枝線
鉄道敷設において既存の路線に新規開業路線を繋ぎ合せる、もしくはその路線を延伸する際、主に地形の問題で止むを得ず既存路線の末端部分が取り残されるケースもしばしば見られるのでありまして、台湾旅行の記憶2にて言及した基隆が代表例であります。また、基隆の他にもいくつか同様な路線・駅が存在するのでありまして、ローカル支線ではなく、あくまでもメインルートから取り残された枝線の位置づけであります。
蘇澳駅は幸運にも生き残った駅でありまして、台北からの近さ(特急で2時間程度)も幸いして現在も冷泉目当ての観光客を沢山呼び込んでおります。(2018年10月21日の脱線事故については、ド素人のわたしに語れることはございません。安全第一は基本ですが。)
その一方でメインルートとなる新規開業路線と繋ぎ合わされる際にバッサリ切られた枝線と言うか、廃止ありきで犠牲となったのが、台東線(花蓮⇔台東)の吉安⇔花蓮(正確には花蓮港)と卑南⇔台東であります。
詳細は、宮脇俊三先生の御著書である”台湾鉄路千公里”、”椰子が笑う 汽車は行く”、”豪華列車はケープタウン行”をご一読いただくとして、元々存在していた台東線の両端部分が台湾を一周する鉄道敷設を考えると、メインルートから外れてしまうのでありますよ。
一方で基隆や蘇澳ほど需要も無さそうだし、わざわざゲージを拡げてまで(花東線は元々ナローゲージなので、台北から延伸してきた路線と繋ぎ合わされる際にゲージを拡げる拓寛工程が実施された。)残す必要は無ェんじゃね、と当局が考えたとしても不思議ではないのであります。
話は少し遡りまして2005年ゴールデンウィークのことであります。那覇経由で台湾入りしたわたしは、台北から時計回りに台湾鉄路を進み、蘇澳に立ち寄った後、花蓮に着いたのであります。
「せっかくだから花蓮港から廃線跡でも歩いてみるべ。」とばかりにタクシーで花蓮港に出向き、廃線跡を辿り始めたところまでは良かったのでありますが、あっさりとその廃線跡を見失いまして一旦は断念して台東へ向かったのであります。
その日の夕方、台東に到着したわたしはタクシーでホテルにチェックインし、ホテル近くにあった旧台東駅の位置を確認後、台東の市街地を散策したのでありますが、たまたま見つけた本屋の地図のコーナーに台東市と花蓮市があったので即購入、ホテルに戻り地図を広げれば明日辿ることになる台東⇒卑南の廃線跡や花蓮の地図では今日自分が見失ったところまで明確にわかるのでありまして、地図の重要さを改めて思い知ったのであります。
翌日、旧台東駅から卑南(この時は既に台東新駅に改称済み)まで無事歩き通し、7月に花蓮港⇒吉安(正確には吉安手前、新旧路線の合流地点)を歩き通してゴールデンウィークの失敗を取り返し、それまでに乗りつぶした部分も含めて鉄道による台湾一周を完了したのであります。
台湾旅行の記憶4に続きます。
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