フィルムカメラ持参で旅した時期がありまして、ヤシカFR-Ⅰを愛用していたのであります。絞り優先AE、コンタックスマウント、加納典明・・・古いですねぇ。購入したのはかれこれ40年以上昔の話でありますが、改めて撮影した写真を見返すと手振れ、ピンぼけ、露光ミス、構図ミス・・・何一つ良いところは無いのでありますな。今はひたすら思い出に耽るのみなのであります。苦労のわりに出来が悪いことについては気にならなかったのでありますが、いつのころからかカメラの重量に耐えられなくなりフィルムカメラ持参の旅は無くなったのであります。東海道本線・馬入川橋梁で流し撮りにも挑戦したことがありました。
尚、個別の路線や車両等、具体的な内容については多くの偉人、達人、賢人の皆様が既に詳細且つ示唆に富んだ考察を以って記事や動画にされておりますので、こちらは一人の爺ぃの思い出話として生暖かく見ていただければ幸いでございます。
近鉄北勢線
三重交通でもなく三岐鉄道でもなく近鉄時代の北勢線でありまして、普段は特に気にも留めなかったのでありますが旧型の電車が運用から離れると聞いてなんとなく出かけた次第であります。桑名駅の四日市側にあった762㎜(北勢線)、1067㎜(国鉄・JR)、1435㎜(近鉄)の三種類のゲージを横切る世界でも例を見ない踏切はまだあるのでしょうか。?
ナローゲージ電車の前パン走行は中々味わい深いものがありまして小さい車体に標準サイズのパンタグラフを搭載しているので見た目が非常に不安定なのであります。倒れる心配するほどのスピードは出てなかったはずですが見ても乗っても楽しい車両でございました。
走行写真の撮影ポイントも北大社の車庫もけっこうな人で賑わっておりましたが、御多分に漏れず通常の営業は厳しかったようで2003年4月に近鉄から三岐鉄道へ経営移管が行なわれました。尚、ねじり橋とめがね橋での撮影については当時は存在を知らず撮影しませんでした。
存在を知ったのは、TV番組の鉄道ひとり旅・三岐鉄道編(吉川正洋氏出演:2016年4月19日撮影分)視聴によります。北大社駅が廃止になったのもこの番組で知りましたし、その流れで六把野駅の廃止も知ったのでありまして、時の流れに伴う合理化の波を思い知らされたのでありますが、何はともあれナローゲージの鉄道が今も営業を続けていることにひたすら感謝であります。
鉄道ファンの間では殆ど話題になりませんが、二代目広沢虎造 清水次郎長伝/血煙荒神山の敵役である穴太徳(神戸屋徳二郎)所縁の地が北勢線の穴太でありまして詳細は “旅ゆけば・小沢昭一的こころ” の “伊勢海道、行きあたりばったり旅”を参照いただきたいのであります。(この中に六把野駅も登場します。)
行き掛かり上止むを得なかったとは言え、清水次郎長の敵となったばかりに講談では鼻つまみの悪玉に仕立てあげられてしまった気の毒な御仁のお話が展開されております。(実際のところは反社と反社の喧嘩の話でありますが。)
野上電鉄
会社解散。凄まじいインパクトであります。廃止でも営業停止でも移管でもなく会社解散なのでありまして、それなりの数の廃止(間際含む)を見て来たはずではありますが衝撃が大きかったのであります。
宮脇俊三先生著 “時刻表おくのほそ道” によれば、野上電鉄の開業は大正5年で国鉄紀勢本線(開業当時は紀勢西線)の開業が大正13年であるが故に双方の乗換駅である海南駅の構造が少し変わっておりました。
紀勢西線・海南駅が野上電鉄の日方駅とは少し離れたところに開業したので野上電鉄は海南駅と隣接する場所に “連絡口” という名称の駅を開業したのであります。日方と連絡口の距離は70-80m程度なので関東の私鉄であれば日方駅を廃止して駅の機能を連絡口に統合するのではないかと考えるところでありますが先行開業の意地でありましょうか日方駅は会社解散の日まで野上電鉄・起点駅の責務を全うしたのであります。尚、当然のことながら日方駅、連絡口駅双方の駅の端からお互いの駅のホームが目視で確認できます。
また、下り列車と上り列車の定義も通常は国鉄(JR)から離れる方を下り、近づく方を上りと設定するケースが多いのですが、野上電鉄は国鉄(JR)から離れる方を上り、近づく方を下りと独自の設定であったようです。30年近く昔の撮影ですが当時すでに車両のボロさにドン引きした覚えがあります。チョコレートの宣伝用ラッピング車両があったこと自体も吃驚でしたが。
そして野上電鉄の撮影となればお約束の紀州鉄道と有田鉄道とのセット訪問でありました。宮脇俊三先生も “時刻表おくのほそ道” においてひとつの項でまとめて述べられております。
尤も、紀州鉄道は既に西御坊⇔日高川が廃止済みであり、有田鉄道はレールバス化の前ではありましたが、正直に申し上げれば両鉄道共野上電鉄に比べるとどうしてもインパクトにおいて一段下のように見えてしまったのであります。
更にセット訪問+1ということで南海貴志川線にも出向きました。和歌山電鐵ではなく経営移管前の南海・貴志川線でありまして当然ねこ駅長誕生前のお話であります。
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