フィルムカメラ持参の鉄道旅_4

還暦爺さんの旅ネタ

フィルムカメラ持参の鉄道旅_3 から続きます。中小私鉄から離れて小ネタをいくつか取り上げ、一旦締めたいと思います。なにしろ撮りっぱなし、現像やりっぱなし、整理整頓とは無縁でありましたので後から後から写真が見つかり、収拾がつかなくなってしまったからであります。

南部縦貫鉄道、栗原電鉄

南部縦貫鉄道は乗車目的とは別に撮影目的も含めて数回訪問しておりまして、1997年5月5日に運転休止前に雪景色のレールバスを撮影すべく、その年の2月にも出向いたのであります。この時撮影したフィルムは現像のみでプリントせず、フィルム自体の行方が現在不明と言う体たらくでありまして今回は小ネタ扱いとなったのであります。

左:南部縦貫鉄道 七戸駅        右:栗原電鉄 石越駅

栗原電鉄は栗原電鉄時代に一回、くりはら田園鉄道時代に一回出向いたのですが、くりはら田園鉄道時代は撮影機材をコンパクトデジカメに切り替えた後なのでここでは取り上げません。元々それほど熱意は無かったのでありまして、写真撮影の腕前が全く上達しなかった理由がこれであります。

尚、栗原電鉄は1995年4月1日から “くりはら田園鉄道” となりレールバス化、2007年3月31日に廃止という経緯を辿ります。

蒸気機関車

電車もろくに撮影できない人間が蒸気機関車などまともに撮影できるはずないのでありますが、ついついノリで出かけてしまったのでありまして、特にC62 3の函館本線 銀山駅周辺と小沢駅周辺、D51 498の磐越西線 中山宿駅と東長原駅周辺にはよく出向いたものであります。

左:D51 498 東長原(磐越西線) 右:C62 3 小沢(函館本線)付近?

蒸気機関車撮影の最大の問題は写真の出来が天候に左右されやすいことでありまして、他の鉄道写真撮影ではめったに障害にならない風の向きや強さに写真の出来が左右されてしまうことでありますね。ピントや露光の他に煙の形が写真の出来に影響しますので。

左:D51 498 東長原(磐越西線)  右:C62 3 銀山(函館本線)付近

元々腕が悪い上にシャッターを切る直前に風が吹いたり、隠れていた太陽が急に顔を出したり、逆に隠れたり、長時間(2-3時間は当たり前)待ってこの仕打ちに遭った時はしばし呆然、その後「是非に及ばず。」と自分に言い聞かせて現場から引き上げるのでありました。

美作河井

通過列車のタブレット授受が見られた駅でありまして急行”砂丘”廃止(同時にタブレット授受も廃止)間際の1997年11月に出向いたのであります。ここを最後に通過列車のタブレット授受が無くなるとあって駅も列車もけっこう混雑しておりましたが、とりあえず撮影はできたのであります。(出来不出来はともかくとして)

タブレット受け取りの瞬間 ピンボケ/手振れ ご容赦下さい。

運転室出入口近くのドアのガラス部分に鉄格子が取り付けられていたり、折り戸の場合は運転室側のガラス部分がガラス以外の板材で塞がれている理由を実感できる瞬間でありました。

山陰本線

かつて偉大なるローカル線と尊敬とも揶揄ともとれる表現が使われておりましたが現在、京都口は亀岡や園部方面からの通勤通学路線と化し、JR嵯峨野線等と小洒落た愛称まで付されてローカル線のイメージは無くなったようでありますね。

左:まつかぜ 右:浜田行き特急出雲 双方とも撮影地失念

それに比べて西の方は電化も複線化も無縁で、且つ海っ縁の景色の良い区間もあって乗車目的とは別に母親の接待旅や撮影目的で何度か訪問したのであります。

長門本山、大嶺、三段峡、錦町

左:美祢線 大嶺駅      右:小野田線 クモハ42 長門本山駅

これらの駅は宮脇先生の御著書である”時刻表2万キロ”の第4章にまとめて記載されているのでこちらでもまとめて御紹介することにいたします。メインは小野田線の雀田⇔長門本山支線を走るクモハ42でありまして、最後の旧型国電に乗車すべくこの電車が走る小野田線に加えて宇部線、美祢線、岩徳線、錦川鉄道を1992年の年末から1993年の年始にかけて乗りつぶしたのであります。

左:可部線 三段峡駅  右:錦川鉄道(旧岩日線) 錦町駅

可部線の末端である三段峡駅(2003年12月1日廃止)には1991年10月に出向いておりましたのでこの時は乗りつぶしの対象とはしなかったのであります。遊佐未森さんのコンサート(広島アステールプラザにて開催)ついでの訪問でありました。廃止が迫った2003年10月に再訪しております。

和田岬線

山陽本線兵庫駅からの枝線でございまして、1990年10月1日から気動車、2001年7月1日から電車と利用者の利便性を重視した進化をとげているのでありますが、趣味で乗るなら旧型客車ですねぇ。無論、通勤で毎日利用するならエアコン付きの電車以外有り得ません。ハイ、ジジイのエゴであります。

左:兵庫駅     右:和田岬線車中から先頭を見る

早く動くべきでありましたが、なんだかんだと後回しにしてしまい、出向いたのは客車運用終了間際でありまして、混雑からは逃れられなかったのであります。尚、宮脇俊三先生は ”時刻表2万キロ” の第2章と第9章で兵庫-和田岬間と述べるのみで、その詳細を述べた御著書は見当たりません。(わたしの調査不足かもしれませんが。)

秋田内陸縦貫鉄道

締めは秋田内陸縦貫鉄道でありまして、1980年代後半から1990年代前半にかけてローカル線の廃止や旧型車両の置き換えが急速に進む中、数少ない明るい話題がここに存在したのであります。46年ぶりの女性運転士(ディーゼルカーでは国内初)の誕生でありまして、宮脇先生も御著書の “線路の果てに旅がある” にて少しだけ触れておられます。

不躾なお願いに応えていただき感謝 撮影日/撮影場所失念

先生も興味がおありだったようで、「ホームにおりて、運転席の横の窓からカメラを向けると、ニコッと笑って、こちらに顔を向ける。」と描写されていました。わたしの時は”ニコッ”とはいきませんでしたがそれなりの表情をいただきましたので感謝であります。(念のため顔の部分は加工しておりますが、問題無ければ加工無しに差し替えるつもりです。)

今となっては交換レンズ込みで約2㎏の荷物を余分に持ってあっちこっち動き回ったのが嘘のようでありまして、若かったのでありますねぇ。もう無理でありますよ。スマホも持ち歩きたくないですもん。

フィルムカメラ持参の鉄道旅_おわり

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