フィルムカメラ持参の鉄道旅_3

還暦爺さんの旅ネタ

フィルムカメラ持参の鉄道旅_2 から続きます。話がとっちらかっておりますが中小私鉄偏重もよろしくないので、この話題は一旦今回で締めようと思います。他にも少しネタがありますので。

新潟交通

新潟交通の初訪問は1990年5月2日でありました。何故明確にわかるかと申しますと記念に購入した燕⇒灰方の乗車券(未入鋏)が見つかったからであります。路面区間も含めた全線乗車をメインの目的としておりましたが、少しくらいは走行写真も撮影してみるべぇとばかりに新潟まで繰り出したのでありました。

白山前駅 交通量多し

“時刻表おくのほそ道” でも取り上げられておりまして、宮脇先生が訪問されたのは1981年6月でありますから起点の駅名が県庁前の時代のことであります。県庁前から白山前に駅名変更されたのは1985年6月1日のことでありました。

その後、1992年に白山前⇔東関屋(路面区間)、1993年に月潟⇔燕が相次いで廃止され、1999年に残存区間の東関屋⇔月潟も廃止され全線廃止に至ったのであります。東関屋⇔月潟営業中にも一度訪問しておりますが、カメラは持参しませんでした。

白根付近 右下のお子達も今はいいおっさんでしょうねぇ。

白根付近で撮影していた時のことでありますが、「すいませーん。」と子供の声が聴こえたのでありまして、何事かと振り向くと「撮って下さーい。」とのこと。わたしは「新聞でも、雑誌でも無いぞー。」と返したのでありますが「(それでも)いいでぇーす。」とのことなので、パシャリと一枚撮ったのであります。

しかし出来上がったものをどうしろとも言われること無く今日に至っているのでありますが、あれから30年経っているのでありまして、あの少年達も30代後半もしくは40歳にもなろうかという年齢に達していることを考えるといろいろ考えされられるものがございますねぇ。

蒲原鉄道

“時刻表おくのほそ道” では新潟交通とセットで扱われておりますが、わたしが新潟交通を初訪問した時には加茂⇔村松間が廃止済みでありましたのでセット扱いとはしなかったのであります。

加茂⇔村松間が廃止となったのは1985年春のことでありまして、新潟交通の県庁前が白山前に名称変更される直前のことでありました。

村松駅

残った五泉⇔村松が廃止されたのは1999年10月でありますが、わたしは廃止直前の1999年9月18、19日に加茂⇔村松間の廃止済み区間も含めて訪問いたしました。乗車した感想は五泉を出発直後に急カーブを経て、後は村松まで県道沿いをまっすぐ進む少し面白みに欠ける路線でした。

村松駅付近

廃止区間は徒歩やタクシーで辿ったのでありますが、景色は良かったです。しかし鉄道事業を維持するのは大変困難であろうことはド素人のわたしにも簡単に理解できるほどでありました。

余談ではありますが村松⇔五泉開業が1923年(大正12年)、五泉⇔加茂開業が1930年(昭和5年)でありまして、後に開業した区間が先に廃止されるという廃止ローカル線あるあるでございました。

村松駅構内

江ノ電(+小田急ロマンスカー)

少しは地元ネタも押し込むべきと思い江ノ電であります。腰越に父方の実家がございましたので、藤沢駅が地ベタに鎮座ましましていたころより馴染みの路線であります。昔は江の島鎌倉観光電鉄と称しておりました。

1970年代、廃止危機に見舞われたのでありますが、某TVドラマをきっかけに息を吹き返したのは有名なエピソードでありまして、コロナ騒ぎの前までは通常の週末でも結構な混雑に見舞われるほど盛況であります。ただ、腰越の満福寺に父方のお墓がある身としてはお彼岸のお墓参りが非常に苦痛なのでありますよ。(コロナ禍でもけっこうな混雑でありますからねぇ。)

龍口寺付近 301(間違っても美澪とは読まない)明治ラッピング車両

わたしの好きな撮影ポイントは江の島から鎌倉方面に出発後すぐ、龍口寺前の国道467号線との合流点でありまして、小さい頃は国道に出入する電車を一日中眺めて過ごすことがよくありました。余談でありますが、昔の江ノ電はよく揺れたですよ。つり革が網棚にぶつからんばかりの勢いで揺れまして、更に鵠沼と湘南海岸公園の間にある境川橋梁は単純な桁橋でございましてちょいと風の強い日には川に落っこちんじゃねぇかなという恐怖にかられた記憶がございます。勿論、エアコンなんざぁ装備してございません。

龍口寺付近 500系はパノラミックウィンドウの方がお洒落に見えた?

それが今やエアコン完備、揺れも少なく、境川橋梁は頑丈なものに建て替えられ、乗客も多いということで、この盛況ができるだけ長く続くことを願うばかりであります。(パノラミックウィンドウ時代の旧500系撮影しておけば良かった。)

どさくさに紛れて同じく地元ネタの小田急ロマンスカーにもスポットを当てたいのでありまして3000系であります。初代ロマンスカーと謳われてはおりますが1700系(流線形でないタイプでロマンスカーと称する特急であったような・・・)は違うのかなぁ。

御殿場(御殿場線)付近 流し撮りには失敗した模様

通常運用から外れると聞き新宿から御殿場まで乗ったついでに御殿場駅付近で撮影したのでありますが、当時のあさぎり運用では号車指定のみの座席定員制でありまして着席は早いもの順でありました。わたしは発車の1時間ほど前に新宿駅ホームの乗車位置の先頭に並び先頭展望席で御殿場までの行程を楽しんだのでありました。(1秒たりともレンズ越しの風景は嫌だったので写真は撮影しなかったのであります。)

余談ではありますが、”時刻表おくのほそ道”では取り上げられておりません。(当然ですけど)

フィルムカメラ持参の鉄道旅_4 に続きます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました