台湾旅行の記憶1

還暦爺さんの旅ネタ

台湾。好きなのであります。2021年11月現在、台湾への渡航がままならないので台湾パイナップルで我慢の状態ですが、今の騒動が終わって海外への渡航が自由になり次第出かけたい国であります。

台湾初上陸

初めて台湾を訪れたのは2003年8月でありました。当時、諸々のドタバタが一段落して海外の鉄道にでも乗ってみようかという気分になり、それならば海外初心者にもとっつき易く、わたしが敬愛する宮脇俊三先生が何度となく御著書で紹介されていた台湾がよろしかろうと判断したのであります。

実は、これが初めての海外旅行でありまして、まずは安易にJALのフリープラン(航空便とホテル及び桃園空港とホテルの送迎のみ)のお世話になったのであります。

ところが、当日成田空港の集合場所に集まったのはわたし一人。台湾・桃園空港からホテルまでの送迎は送迎者のドライバーとガイドの陳さん(日本語できます。)、わたしの3人で、ちと気まずい雰囲気が車内に漂っておりました。そんな中で陳さんからお約束の質問があったのです。

陳さん「台湾、初めてか。?」
わたし「初めてです。」
陳さん「台湾で何する。?」
わたし「電車に乗りたいです。」
陳さん「???」
わたし「電車です。電車。自強号に乗りたい。」
注:”電車”と”自強号”は華語で発音しました。
尚、”自強号”は台湾在来線特急の名称です。

陳さん 「(一瞬表情がこわばり) 自強?」
わたし 「(まずい、と思いながら) 陳さん、自強”号”です。自強”号”。」
→”号”を強調したつもり。

陳さん 「(納得した様子で) あぁ、自強号ネ。
     うんうん。キップ、台北駅の窓口ネ。」
わたし 「(知ってるけど) はい、有り難うございます。」

というやりとり以外は全く問題無く、ホテル(天成大飯店)に到着。

“自強”、”匪協”、”反共”・・・かつての戒厳令下のスローガンは口にすべきでないとわかってはいましたが、列車名になっているのでついうっかり口にしちゃいました。ちとあせりましたねぇ。
尚、台湾での初めての買い物は、ホテル近くのサークルKにて、黒松汽水とおにぎりの購入でありました。黒松汽水は、Drペッパー、ルートビアに近い炭酸飲料と思っていただければ間違いないです。

台湾二日目

台北3泊4日のプランなので、遠出はできません。なんとなく自強号に乗るなら台中あたりの日帰りかなぁと考え、翌日は目論見通り自強号で台中へ出向き、台中市内を歩き回って終わってしまったのでありますが、帰りは自強号が終日満席とのことでありまして、2つ格下の快速列車:復興号で台北に戻ったのであります。

初対面は2003年、写真撮影は2005年、確か5回目の台湾旅行の時。

当時の台湾は優等列車が全て全席指定制でありまして、もし復興号も満席と言う場合は、普通列車を乗り継ぐか、”自願無座”=立席特急券で自強号に乗るか、鉄道利用を諦め高速バスを利用するか、いずれかを選択することになるのであります。現状については早期に調査したいのでありますが、時期については全くの未定であります。

さて、往路の自強号では親子連れの父親がわたしの隣に座ったのでありますが、とにかく鬱陶しいくらい人懐こく話しかけてくるのでありまして、外の景色を見たいわたしにとっては非常に辛うございました。(言葉、わかんねぇし)

因みに2003年当時、台北⇒台中の自強号料金は375台湾元(約1,340円)、台中⇒台北の復興号料金は241台湾元(約860円)でありました。特急:自強号で2時間の距離にしては安いという印象でありますねぇ。

台湾三日目

翌日はMRTで北投を往復した他、中心部を歩き回って、最後は和昌茶荘にて台湾烏龍茶を購入して終了。その次の日に帰国しました。台北のMRT(おそらく他の鉄道でも)では優先座席の名称が”博愛座”でありまして、後年母親を台湾に連れて来た時に”博愛座”の字面がえらく気に入ったようでありまして、今も時々台湾の”博愛座”が話題になるのであります。

和昌茶荘は日本人観光客に大変人気でありまして、わたしも何度となくお世話になって顔も覚えられたくらいではありますが、果たして今でも覚えてもらっているでしょうか。?

次回訪問した際に明らかになるはずですが、果たしてその次回がいつになることやら。店主の張(ちゃん)さんと店頭のオウム君は元気かなぁ。

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今、思い出しても

初台湾はとにかく面白かったです。現地語が殆どわからないので思い通りにならなかった部分は多々ありましたがそれはそれで楽しかったし面白かったのでありますよ。理由はわかりませんけど。

台北/台中市内を歩き回った際、鉄道時刻表を入手すべく数件の本屋に立ち寄り「有没有時刻表嗎?」を連発しましたが、答えはすべて「没有」。おぉ、生「没有」じゃんか。何故かネイティブ発音の「没有」が面白かったのであります。わたしもノリノリで「没有嗎?」とわざわざ聞き返すくらいテンションが上がっていたのでありました。どうかしていたのかもしれません。

新幹線開業後(2007年7月)に入手した時刻表

結局、この時は入手できなかったのでありまして、後々の情報で本屋ではなく、駅構内の売店(セブンイレブンが多い)で購入できるが、発行部数が多くないのでいつでも入手できるとは限らないことを知ったのであります。現在はわかりません。

これをきっかけに何度か台湾に通い、台湾の鉄道のけっこうな部分を乗りつぶしました。

既にお気づきの方、いらっしゃると思いますがこの年(2003年)7月5日、WHOが最後のSARS伝播確認地域である台湾の指定を解除した直後でありまして、ツアー客がわたし一人というのも当然と言えば当然の出来事でありました。

台湾旅行の記憶2に続きます。

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