廃線跡巡りについて

還暦爺さんの旅ネタ

1983年白糠線、1984年宮原線、それぞれの廃線を皮切りにローカル線の廃線ラッシュが始まったのでありますが、時間と費用のやり繰りをつけることができず、その後も含めて殆どを未乗のままで廃線を迎えてしまったのであります。

後年、多少時間と費用を捻出できるようになり、せめて廃線跡でも辿ってみるべ、ということで廃線跡巡りに精を出したのは1990年代の後半のことでありました。

今回の記事は同じ”廃線”という言葉で括るには少々違和感を覚える事例を挙げてみようというものでありまして、例によって詳細なデータや画像、映像については様々な発信者様がそれぞれのサイトでわかりやすく情報提供されておりますので、こちらでは雰囲気だけでも捉えていただければ幸いであります。

福岡県と北海道

過去記事において交通公社の時刻表1974年3月号とJTB時刻表2020年8月号の双方の国鉄/JRの索引地図を非常におおまかに比較したのでありますが、実際に現地を歩き回った印象では福岡県の廃線跡は道路に転用されたり、そうでない場合でも廃止しなくても良かったのではないかと思えるような環境であるケースが多く、北海道の廃線跡は農地に転用されるか放置されるケースが多かったように思え、”廃線”の内容に大きな差を感じたのであります。

一部廃線跡巡りには一眼レフカメラを持参したはずではありましたが現像した写真の行方は不明であります。まさか20年以上経ってから使うことになるなんて考えても無かったですから。

福岡県の代表例:勝田線

既に多数の方が動画、SNS等多種多様の媒体を通じて路線廃止に関する意見提言を述べられておりますが、私が廃止跡を徒歩で辿った結果を申せば「残しても良かったと思うが地元住民の方が不要と判断したのであれば是非に及ばす。」と言ったところであります。

1975年(昭和50年)12月30日(新幹線博多開業の9か月後)に宮脇俊三先生が勝田線を訪問され、御著書の「時刻表2万キロ」にて少し触れられております。

乗り換えに多少戸惑った宇美駅で曰く「・・・私鉄時代のように勝田線の駅を上宇美にしたほうがよいと思うが、いつ廃線にされるかわからない赤字線だから・・・」、また筑前勝田駅で曰く「・・・一円たりともこの駅には経費をかけませんぞ、・・・」とのことですので、この段階で既に国鉄(当時)としては存続の意思が無かったのでありましょう。

当時(1974年3月)は客車列車が走っておりました。
博多まで直通運転があれば状況は変わったのか。?

私が勝田線跡を訪れたのは1993年11月2日と1997年12月17日の2回でありまして、1回目訪問の際は柚須駅の自転車置き場に隠れた廃線跡に気付かず、加えて下宇美駅跡から宇美駅跡方面に歩いた際に宇美川を渡るポイントを見失ったことにより不完全燃焼で終わったのであります。

2回目訪問は1回目訪問の教訓を活用して柚須駅下車後3時間弱の所要時間で廃線跡を歩き通すことができたのありますが当時はPCもスマホも所有していなかったのでなかなかハードな廃線跡巡りでありました。

当時は沿線に宅地や学校が多く(最近はイオンモール福岡が開業したようですね。)、県道68号線(福岡大宰府線)の交通量も多かったので、多少のてこ入れでどうにかなったなったのではないかな、と考えたのも事実であります。尚、勝田線が存続した場合の輸送密度をYouTubeの鐡坊主チャンネルにてUP主様が解説されておられます。付されたコメントも含めて非常に勉強になりました。

北海道の代表例:白糠線

1918年(大正7年:スペイン風邪の流行り始めの年ですね。)9月19日開業の勝田線に比べると白糠線は非常に新しい路線でありまして、1964年10月7日 白糠~上茶路間開業、1972年9月8日上茶路~北進間開業、1983年10月23日廃止、となっております。全区間の営業期間はわずか11年でありました。

1974年3月の段階で1日3往復でした。

「時刻表2万キロ」によれば宮脇先生は1977年5月21日に白糠線を訪問されたそうです。当時は白糠とその周辺の高校に通う生徒が主な乗客とのことでありましたがおそらく廃線後の代行バスも同じ役目を担っていたと思われます。

私が最初に白糠線の廃線跡を訪問したのは1993年8月17日、この時は代行バスで往復しただけでありましたが、それでは少し物足りなかたので、1997年4月の末にもう少し細かく廃線跡を辿ったのであります。

本格的に廃線跡を辿り始めた頃でもあり、とにかくインパクトが大きかった廃線跡巡りでありました。代行バスの停留所近くにある○○さんの家が、そのまま”○○前”という停留所名になっていたり(個人宅の他には停留所名にするようなものが何も無い)、タクシーを呼ぶために視界に入ったバーベキューに興じるオジサン達の世話になったり(当時は携帯電話を所有しておりませんでした)、残っていた路盤を歩いているうちにうっかりひと様のお宅の庭に入りこんでしまいバーベキュー真っ最中のご家族を一瞬シーンとさせてしまったり、二股バス停(北進駅跡の最寄り駅)でバスを待っている時に北海道新聞(釧路支社)の記者の方に取材を受けたり、他の廃線跡巡りでは見られないような出来事に見舞われたのであります。

私が出向いた時は予約不要でした。
出雲横田周辺のコミュニティバスと同じタイプの車両ですね。

私が訪問してから既に25年を経ておりまして、現在は私が当時利用した町営バスは大型車両からジャンボタクシータイプに車両が変わり、且つ白糠市街の端(茶路団地バス停)より奥へ向かうバスは予約制となっております。通学需要が減ったのでしょう。

終わりに・・・

2020年5月に放送された「にっぽんの廃線100」という番組の再放送を視聴たのでありますが、古い記録映像には移動手段が限られていた当時の人々がローカル線を利用する様子が映っていたのでありまして、この人々の多くが代替わりするタイミングでクルマという鉄道でない移動手段を手に入れたならば、ローカル線の存在意義が薄れてしまうのも仕方ないと改めて思い知らされた次第であります。

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