なんだかんだと台湾を列車でチマチマと回ってきたのでありますが、最後に鉄道に関連すること、しないこと含めてアレコレ書き散らかして終わろうと思います。
お土産品
毎度毎度という訳ではありませんが、帰国間際のドサクサでお茶と鳳梨酥を購入すのが常でありました。何の捻りも目新しさも無いのでありますが、鉄道メインの台湾旅行でありますからこれで良いのであります。
お茶の購入は和昌茶荘に頼りっきりでありました。ずいぶんのご無沙汰となっておりますので台湾旅行解禁の折には真っ先に駆け付けたいところでありますが、いつになりますやら。
最終日の夕食を早めに切り上げ、締めのお茶を和昌茶荘でいただき(試飲でけっこういただけます)、お土産購入の流れがお決まりのパターンでありました。
鳳梨酥については2つほど贔屓がございまして、その1つが基隆の李製餅家(李家大房)であります。サラリーマン時代に職場で何度なく台湾からの客人を迎えたのでありますが、彼らが手土産品として必ず持参したのが李製餅家(李家大房)の鳳梨酥でありまして、こちらから出張した人間も当たり前のように手土産品として持ち帰って来ましたので、馴染みがあったというのが理由でありますね。
詳細な記憶は無いのでありますが、台北のホテルでシンガポールからの観光客が維格、鳳梨酥とデザインされた紙袋を持っているのを見かけ、ホテルのフロントにあれは何?と尋ねたところ、「香港系の鳳梨酥屋さんネ、ほんのちょっと高級」と教えてこらったので、帰国日に余裕がある際は酒泉街まで出向いて購入したのであります。本当に香港系なのかも、現状どうなっているのかも不明でありますね。
縁起もの切符
その昔、国鉄広尾線の愛国駅から幸福行きの切符が流行りました。また徳島線 学駅の入場券が受験シーズンになると五枚セット(御入学のごろ合わせらしい)で売れ行きが伸びたり、函館本線の銀山から銭函行きの切符が売れたり(現在、銀山駅は無人駅なので入手不可)、日本には縁起物の切符がいくつかありますが、台湾にも似たような切符があります。
台南を挟んで高雄側の保安駅から台北側の永康駅までの切符でありまして、乗車券の駅の並びを左下から時計回りに読んで”永・保・安・康”=”永遠に安らかで健やかである”という縁起が良い意味になるのですが、反対方向の永康駅から保安駅までの切符で全く同じ理屈で左上から反時計回りに”永・保・安・康”と読ませるパターンもあるとのこと。
どちらが主流なのかはわかりませんが、現在手元には保安駅から永康駅までの切符しかないので、いずれ永康駅から保安駅までの切符も入手しようと考えているのであります。ついでにもう一箇所の縁起物切符である台中近くの追分から成功の切符も入手しようかなとも企んでおります。
林口線、北廻線
かつて林口線という少し変わったローカル線が桃園から出ておりまして、運行区間が何度か変わっておりますが長興まで走っていた時期に乗ったのであります。何かの資料で”免費”という記述を見ていたので「ほんまかいな」というつもりで現地へ赴きましたが本当に無料だったのであります。一時期長興の少し先”海湖”まで営業距離を延ばしましたが、ほどなくメインであった貨物輸送ごと廃止となってしまったのでありまして残念でありますねぇ。(本数少なかったです。)
2005年7月の段階でありましたが、高雄よりも先でドアは常時開状態、走行中は鎖でドア口を封鎖するというなかなかワイルドな車両を通常運用に組み込んでいたのであります。新幹線開業を2年後に控えた中、高雄という台湾No2の大都市にあのような車両が乗り込んでいたことを考えるとそれなりに面白い時期であったと感じる次第でありますねぇ。
出稼ぎ労働者がメインで働くテーマパーク
“大世界國際村”、胡散臭いなぁ、と感じた貴方は正しい感覚の持ち主であります。高雄と台南の中間に位置する岡山駅(おかやまではなくガンシャンと読みます。)からタクシーで15分ほど山の方に入ったところにある、主にバリ島をモチーフにしたテーマパークでありました。(タクシー代は250~300元程度。公共交通機関はありません。)
ある程度台湾に慣れてガイドブックには出ているけど日本人は居なさそうなところ、という点で好奇心が湧いて訪れてしまったのであります。(グーグルマップ ストリートビューで見たところ閉演済みのようですが。私が訪れたのは10年以上も前の事であります。)
バリ島をモチーフにしておりますので、バリ島民族舞踊の演者さんは勿論、村内の案内や窓口その他スタッフは大部分がインドネシア・バリ島からの出稼ぎ労働者であることはまぁ良いとして、何故かロシア人(実はウクライナ人でないかな)のダンス&アクロバットパフォーマンスチームも居たりするのでありました。
そして、お客さんが少ない。とにかく少ない。わたしが訪れた時はわたしの他に4人づれ家族が2組だけ。1日数回村内のメインステージでパフォーマンスショーが開催されるのですが、合計9人の観客の前でバリ島民族舞踊やアクロバットショーが繰り広げられ、明らかに”観客数<演者数”という風景は傍からどのように見えたのでしょうか。
ショーが終わり、村内も一通り見学したのでさて引き上げるかというタイミングでインドネシア人スタッフ(女性)から声をかけられました。
スタッフ「Are you Japanese ?」
わたし「Yes」
ス「Tokyo ?」
わ「No, Kanagawa pref. near Tokyo」
から始まり、20分ほど話し込みました。但し、私の英会話力では大した話はできませんでしたので(当時はスマホどころか携帯電話も不所持)ここでドヤれることはありません。
なんとかかんとか、彼女と妹を含めて集団で出稼ぎに来ていること、今は案内係だけど本業はバリの民族舞踊のパフォーマーであること、この施設は個人や少人数で訪れる客は非常に稀で、メインは大陸から観光バスで乗り付ける団体客であることが判明した程度です。
故に彼女たちは閑散期になると台湾国内の他の場所で民族舞踊を披露することもあるそうで、後日台北で開催されたショーの時に撮った写真を送ってくれました。(彼女たちは既に帰国済みのようです。)
彼女の名前はAdi Sumarni さん(写真一番左)。現在、バリ島も芳しくない状態ですが、元気にしていてくれれば良いのですが。
台湾と日本語
いつのことでしたか、高雄駅のことでありまして、切符売り場で番号札をとって自分の呼び出し順を待っていたところ、現地のおじさんがなにやら私に質問するのであります。勿論言葉はわかりません。
私「対不起、我是日本人。不知道」ペコリ
おじさん「アァ、ニホンジンカ。イイヨ、イイヨ、コッチノヒト(多分現地の人)ニ キクヨ」
私「えっ、日本語?」
おじさん「イイヨ、イイヨ」・・・・と行ってしまったのであります。
日本人の世話になりたくなかったのかは不明であります。別の日、高雄のデパート前から駅までタクシーを使った時にはこんな会話もありました。
わたし「車站」(華語)
運転手「?」
わ「高雄車站」(必死の華語)
運「??」
わ「Kaohsiung-station」(汗だくの英語)
運「???」
わ「駅なんだけどなぁ」(ヤケの日本語)
運「OK!」
わ「????」
ちょっとどうなっているのかわからないのでありますが、台湾は面白いのであります。阿里山鉄路にも乗りたい、新規開業の鉄道にも乗りたい、我想去臺灣。
台湾旅行の記憶 終わり
コメント